「竜山石(たつやませき)」実験計画
平成28年2月14日日曜日に職業訓練の一貫として職人への指導手順の検討も盛り込んだ
竜山石の中塗り実験施工にはいりました。
この実験は、加古川の竜山石を使って関西の左官業界を復活させようという試みです。
また、一般財団法人 建設業振興基金 三十木専門役さまに連絡調整の支援をいただいて
おります。今後共、御協力の程よろしくお願いします。
さてここで簡単に「竜山石」について説明させて頂きます。
竜山石とは
高砂市の竜山や伊保山の周辺には、切り立った石切場がいたる所で白っぽい岩肌を見せています。ここは、古代から今に続く石材の一大産地です。ここから切り出される石は「竜山石」と呼ばれ(最近では「宝殿石」と呼ばれることも多い)、時代の流れと共にその用途を変えながら利用されてきました。竜山石は、今からおよそ7000万年前(後期白亜紀)の火山活動によってできました。岩石としての名前は、そのでき方から「成層ハイアロクラスタイト」といいます。竜山石は水中に噴出した流紋岩溶岩が急に冷やされて粉々に壊れ、それが水流によって運搬され、その後堆積してできたと考えられます。このような岩石を、「成層ハイアロクラスタイト」といいます。
「高砂地域の歴史」(尾崎他、2003)によると、周辺地域には塊状の流紋岩、水冷によって壊された自破砕溶岩やハイアロクラスタイト、そして竜山石のように水流によって移動し再び堆積した成層ハイアロクラスタイトが分布し、それらが移り変わっているようすが観察されるということです。
竜山石ができたのは、今から約7000万年前の白亜紀後期です。このころ、西日本の各地でカルデラをつくるような大規模な火山活動が起こりました。火山は溶岩を流したり、火砕流を発生させて溶結凝灰岩などの火砕岩をつくりました。竜山石は、カルデラができた後、そこに水がたまってできた湖の底に溶岩が噴出してできたと考えられます。竜山石は、成層構造を有したり、岩片と基質から成るつくりをしていますが、硬度などの物理的な性質が均質で節理が少ないという性質をもっています。また、軟質なため採石や加工が容易です。このため、古くから石材として切り出されていました。
古墳時代には石棺として利用されました。古墳時代中期には、畿内の権力者のほとんどの石棺にこの竜山石が使われ、「大王の石」と称されました。この頃の石棺はほとんどが6枚の板石を組み合わせてつくられた「長持形石棺」です。
古墳時代後期になると、この石から「家形石棺」がつくられました。「家形石棺」は加古川流域を中心にたくさん見つかっています。この頃は、地方の豪族や有力者の墓に利用されたと考えられています。
鎌倉~室町時代には、五輪塔や宝篋印塔など、江戸時代の初期には姫路城の石垣などにも利用されました。明治以降には、旧造幣局鋳造所(1870年)や住友銀行本店ビル(1922年)、京都ホテル旧館(1928年)など、近代建築物などの壁材として利用されました。
竜山石の採掘は今も続けられ、河川や公園などの石垣、モニュメントや花壇の縁取り石など、建築用や造園用に広く利用されています。
約7000万年前の火山活動で生まれた竜山石。長い年月の間に上部が侵食されて、今の地表が表れました。そこに人が住み着くようになると、この石は様々に利用され、播磨発の石の文化を綿綿と築き上げてきたのです。
これまで建築物の外部で使用されていた竜山石が、漆喰や珪藻土以上の調湿効果があることが判明したのは兵庫県立加古川東高等学校地学部で顧問をされていた川勝教諭の指導のもと、竜山石の切粉にも調湿性がある事に目をつけて具体的な研究を始め、2013年工学フォーラムにおいて「竜山石には漆喰や珪藻土以上の調湿効果があり、室内用の塗り壁材に適している」という発表を行い、それが文部科学大臣賞を受賞し、大きく新聞に報道された事に端を発します。
今回は竜山石の将来的な可能性並びに左官業界復権という計画に各方面がご賛同頂いての実験となります。組合員各位が当事者という自覚を持って実験への参画及び協力頂ければ幸いと存じます。
尚、明日2月16日9時より上塗実験施工をしますので見学される方は大阪府左官工業組合まで問い合わせください。よろしくお願いします。
下記は昨日の中塗り施工の画像です。
朝9時過ぎより16時前までの作業となりました。
阿食相談役、吉村理事、須崎青年部幹事、亀井組の職人さんお疲れ様でした。
場所を提供して頂きました大栄左官工業所さま、ありがとうございます。
明日の上塗施工もよろしくお願いします。
とりあえず第一報のご報告をさせて頂きました。 by 大関 憲二